2013/06/12

ジョルジョ・デ・キリコ「手稿(1911-1913) XIV」 Giorgio de Chirico, "Textes Manuscrits (1911-1913) XIV."

Giorgio de Chirico, Giovanni Lista (ed.), L’art métaphysique, L’échoppe, 1994, pp.84-87.


XIV.

ある画家の瞑想

未来の絵画とはどのようなものでありうるか[Que pourrait être la peinture de l’avenir]。

未来の絵画の目的とは何か?詩、音楽そして哲学と同じものだ。それ以前には知られていなかった感覚を与えること、慣習、規則、主題と美的綜合への傾向を未だに含みうる全てを芸術から取り去ること。指標としての人間、象徴、感覚、思考を表現する手段としての人間を完全に排除すること。彫刻を今なお束縛するもの、つまり神人同形論からきっぱりと自由になること。全てを、人間さえも事物[chose]としてみること。これがニーチェの方法である。絵画に応用されれば、途方もない結果をもたらすだろう。これこそ私が自分のタブローにおいて証明しようとしていることなのだ。
ニーチェがスタンダールを読み、あるいはカルメンの音楽を聴いて感じた喜びについて語るとき、もしその人が心理的洞察力に富んでいるならば、彼の言わんとすることが感じ取られる。つまり、それはもはや一冊の本ではなく、もはや一曲の音楽でもない。それはある感覚を与える一つの事物[chose]なのだ。人はこの感覚を吟味し、判断し、より知られている別の感覚と比較する。そしてこちらの感覚を選択する、というのもそれがより新しいことが分かるからだ。
真に不滅な芸術作品は啓示によってのみ生まれることができる。おそらくショーペンハウアーこそ、このことを最もうまく定義し、そして同時に、当然ながら、最もうまくそうした瞬間を説明した人物である。彼は『余録と補遺[Parerga und Paralipomena]』において次のように述べている。「独創的で、非凡で、ことによると不滅でさえある着想を得るためには、しばらくの間、世界と事物から完全に隔絶し、そうして最も平凡な事物や事象が全く新しく未知のものとして現れ、その本質を開示させるようにすればよい」。ここで、独創的で、非凡で、不滅である[originales, extraordinaires, immortelles]着想の誕生の代わりに、芸術家の思考の内に芸術作品が、絵画あるいは彫刻が生まれるのを思い浮かべてみて欲しい。絵画における啓示の原理が得られることだろう。
こうした全ての疑問に関連して、私はここで、今年のサロン・ドートンヌに展示した《秋の午後の謎[L’Énigme d’un après-midi d’automne]》と題されたタブローの啓示をどのように得たかについて述べよう。ある澄み切った秋の午後、私はフィレンツェのサンタ・クローチェ広場の真ん中にあるベンチに腰掛けていた。もちろん、私がこの広場を見たのははじめてのことではなかった。私は長く苦しい腸の病から抜け出したばかりで、感覚はほとんど病的な状態にあった。自然の全て、建築物の大理石や噴水までもが、私には病み上がりのように思われた。広場の中心には、長いマントを羽織ったダンテの像が立っており、自分の著作を自分の体にしっかりつけるように握り締め、月桂樹をかぶった物思わしげなその頭を地上に向けて傾けていた。その像は白い大理石で出来ていたが、時間が灰色の色調を与えており、見る目に快かった。生ぬるい秋の太陽が、容赦なく[sans amour]彫像と教会のファサードを照らし出していた。そのとき私は、全てを初めて見ているのだという奇妙な印象を持った。そして作品の構成が心に浮かんだ。私はこの絵を眺めるたび、この瞬間を思い出す。とはいえ、この瞬間は私にとって一つの謎だ、というのもそれを説明できないからだ。そこから生じた作品も私はやはり謎と呼びたいと思う。

音楽は感覚の極み[nec plus ultra de la sensation]を表現することができない。音楽について我々は、何が問題になっているのかを決して知ることができない。どのような音楽を聴いた後でも、各人には次のように言う権利があり、言うことができる、それは何を意味しているのか?と。これに対して深遠なタブローについてそのように言うことは不可能だろう。その全き深遠に入り込むとき、人は沈黙を守らなければならない。そのとき光、影、線、角度、立体感の神秘の全てが語りはじめる。

芸術作品(絵画あるいは彫刻)の啓示は突然に、全く予期しない時に生じうる。また啓示は何かを目にすることでももたらされる。 ―― 前者の場合、啓示はある種の稀で奇妙な感覚に属しており、私としては、その感覚を現代人の中ではただ一人、ニーチェにおいてのみ見出した。過去の人々の中では、おそらく(おそらくというのは、時折私はこれを疑うからだが)パラス・アテネの造形を考案したフェイディアス、ミラノのブレラ美術館にある《聖母の結婚Mariage de la Vierge》の空と教会を描いたラファエロ、この二人がこのような感覚を抱いた。ニーチェが彼のツァラトゥストラの着想について語る時、彼はこう言う、私はツァラトゥストラに不意に襲われた[surpris]のだと。この分詞「不意に襲われた(驚かされた)[surpris]」の中に、不意に生じる啓示の謎の全てがある。
啓示が事物のある種の配置から生じる時、ということは私の思考に生じる作品は、その誕生をもたらしたものと密接なつながりを持っているということである。前者は後者に似ている、だが非常に奇妙な形で似ているのである。二人の兄弟の間にある類似のように、あるいはむしろある人物の夢の中におけるイメージと、現実におけるその人物との間にある類似のように。つまりそれは、同時に同じ人物ではないということだ。その相貌にわずかな、そして神秘的な変形があるかのようなのだ。私が思うに、夢の中でのある人物の相貌は、ある種の観点において、その人物の形而上的現実性の証明なのだから、芸術作品の啓示とは、同様の観点において、時折我々に起こるある種の偶然の形而上的現実性の証拠なのである。特定の仕方で、配置で、時折何か[quelque chose]が我々の視界に現れる。そして我々の中で芸術作品のイマジネーションが生じる。そのイマジネーションは我々の魂の内に、時折驚きを、とりわけ瞑想を、常に創造の歓びを呼び覚ます。
Georgio [sic] de Chirico



2013/06/10

ジョルジョ・デ・キリコ「手稿(1911-1913) XII」 Giorgio de Chirico, "Textes Manuscrits (1911-1913) XII."

Giorgio de Chirico, Giovanni Lista (ed.), L’art métaphysique, L’échoppe, 1994, pp.77-79.


XII.

ミュンヘンのアカデミーを離れた後、私は自分の辿って来た道が、自分の辿るべき道ではなかったことに気付いた。私は曲がりくねった道に入り込んだ。まず、幾人かの現代画家たち、とりわけマックス・クリンガーとベックリンが私を魅了した。私は奥深い感覚を伴った[senties]それらの作品に思考を巡らせた。それらは特殊な雰囲気[Stimmung]を持っており、私は他の大勢の画家たちの中からそれを認識した。 ―― だが私は再び、それは私の道ではないということを理解した。私は本を読んだ。ホメロスの一節が私を魅了した。 ―― カリプソの島のオデュッセウス ―― 幾つかの光景とタブローが私の前に現れた。 ―― そうして私はついに何かを見つけたという感覚を得た。またアリオストとロジェをよく読んだ。あの放浪の騎士の典型は木の下で休み、眠りにつく、馬は彼の周囲にある草を食む、全ては孤独と静寂の内にあり、竜が空中を通り過ぎるのが見えるような気がした。こうした光景は私を魅了した。騎士が、馬が、風景が突然想像された。それはほとんど啓示だった。だがそれでもまだ十分ではなかった。マンテーニャ、デューラー、ベックリン、トマ、あるいはマックス・クリンガーもまたそうしたタブローを描くことができなかっただろうか?必要なのは何か新しいものだ。そうして、それは十月のローマ旅行の最中のこと、私はフレデリック・ニーチェ[Frédéric Nietzsche]の作品を読んだところだった。私は多くの奇妙な、未知な、孤独な事物があることに気付づいた、それは絵画に表現しうるものだった。こうして私の最初の啓示がはじまった。私は以前ほどデッサンをせず、少々忘れてしまっているほどだったが、デッサンをするときは常に必要性に迫られてのことだった。そうして私は以前には理解できなかったあるぼんやりとした感覚を理解した。この世界の事物たちが時折有する言語。一年の様々な季節と一日の様々な時間。同様に歴史上の様々な時代。 ―― 先史時代、時代を通しての思考の様々な革命、古典時代、中世、現代、全てがより奇妙で、より遠くに思われた。私の想像力にはもはや主題は無く、私の作品はもはや一切の意味[sens]、とりわけ一切の常識[sens commun]を持たなかった。それらは静謐である。 ―― だがそれらの作品を目にする度、私はそれらの着想を得たときのことを正確に感じられる。このことは、それらの作品が持つ深遠な価値の最も反論のできない証拠である。
とりわけ必要なのはある偉大な感覚である。世界の全てを謎として思い描くこと。人が常に抱く大きな疑問、何故世界は創造されたのか、何故我々は生まれたのか、何故生きるのか、何故死ぬのかといった疑問だけではなしに。というのもおそらく結局は、私が既に述べたように、そこには何の理由もないからだ。とはいえ、一般に取るに足らないとみなされている種々の事物の謎を理解することだ。感覚の種々の現象の、人々の性質の、その神秘を感じることだ。創造的天才さえも事物として思い描けるようになること、非常に好奇心をそそるが故に我々がその全ての側面をひっくり返すような事物として。奇妙な事物で満たされた壮大な博物館の中にいるように、世界の中で生きること。そこには好奇心をそそる、雑多な玩具が満たされている。それらは外観を変える。というのも時折我々は、小さな子どものように、その中がどうなっているかを見るためにそれらを壊してしまう。 ―― そして失望するのだ、それらが空[vide]であることに気付いて。 ―― 人々をその創造物に結びつける見えないつながり。 ―― たとえば何故、フランスの家々はあのような建築であって他のようではないのか。歴史を引用しても無駄なことだ。そこにあるあれこれの理由を人は記すが、何一つ説明しない。説明すべきものなど何もないという永遠の理由によって。だが謎はいつまでも残る。 ―― パリの家々の屋根にあるあの小窓[lucarnes]は、常に私に奇妙な印象を与える。私としては、建造物にあの小窓[lucarnes]を付けさせる、そう感じさせる[sentir]、未知の力があると信じる。私としては、この小窓とフランス兵の赤いパンタロンとの間にあるつながりを見る。この種の革命やその他無数の事々についてやはり私は説明をしない、全ての人々に対しても、全ての時代に対しても、全ての国に対しても。私があらゆるあの奇妙な事物たちについて述べてきたのは、一人の芸術家が、この私が言わんとする一枚のタブローについて理解するためには、どれほどの知性と感性に到達しなければならないかを示すためである。


ジョルジョ・デ・キリコ「手稿(1911-1913) X」 Giorgio de Chirico, "Textes Manuscrits (1911-1913) X."

Giorgio de Chirico, Giovanni Lista (ed.), L’art métaphysique, L’échoppe, 1994, pp.74-75.


X.

音楽の問題点[Point de musique]。音楽は感覚の極み[nec plus ultra de la sensation]を表現することができない。音楽について我々は、何が問題になっているのかを決して知ることができない。そして結局のところ、それがベートーベンであろうとワーグナーであろうとロッシーニであろうと、あるいはサン‐サーンス氏のものであろうと、音楽作品を聴いた後で各人には次のように言う権利がある(言うことさえできる)、それは何を意味しているのか?[qu’est-ce que cela veut dire]と。これに対して深遠なタブローについてそのように言うことは不可能だ。タブローの架かっている諸々の壁だけではなく、全ての壁の角度を変えるとき[quand on tourne l’angle de tous ses murs et pas seulement de ces murs]、その深遠に入り込むとき、人は沈黙を守らなければならない。 ―― そのとき、光と影、線と角度が語りはじめる、そしてやはり音楽が聴こえてくる、聴かれることのない隠された音楽が。 ―― 我々が耳にするものには何の価値もない。我々が目を開いて、そしてむしろ目を閉じて見るものにだけ価値がある。音楽の中に神秘はない。だからこそ美術が最も多くの人々に好まれるのであり、彼らはそこに常により多くの感覚[sensation]を見出すのである。私はといえば、昨日の夜それを感じた。深遠で静寂な仕方で、恐ろしい仕方でそれを感じたのである。おそらく、それを一つの真理[une verité]と名づけなければならないだろう。 ―― だがそうした真理たちは語ることがなく、声も持たない、まして歌うこともない。だがそれらは時折見つめてくるのである、そしてその視線に対しては、頭を垂れてこう言うしかない、そう、その通りなのだ[oui, c’est comme ça]、と。結果として生じるもの、たとえばタブローは、常にある音楽を有することになる。それはむしろある必然性であり、無数の魂と無数の側面を持つ全ての事物の神秘的な運命なのである。私はといえば、昨日の夜にそれを感じた。絵画、深遠なる絵画を、私のタブローの内に。食事の終り、あるいは折れ曲がった光の音楽[la fin du repas ou la musique de la lumière brisée]、音楽の彼岸にあるあの感覚は炎の文字で刻まれていた。 ―― 音楽は彼岸にある何かに留まっている。それは食事の前に、あるいはその後に取るものではあるが、それ自身では食事をなさないのだ。それ自身で食事をなすもの、それは謎だ。結局のところ私は、それについて長く考えようと思っている人々に助言することはできない。というのも、その午後の生暖かさにも拘らず、謎は凍り付いているからだ。だがそれを理解したとき、どれほどの歓びを、人々よ[grand monde]、どれほどの歓びを、謎よ、お前は与えてくれるだろう。それは生なのか?あるいはその反対なのか、あるいはどちらでもないのか?ともかくそれは私を幸福にした。それがはるかに良いことであることだけを私は望む、結局それがおそらくは別のものであることよりも、そしてやはりおそらくは・・・・・・[je ne voudrais que cela fût autrement bien que qui sait après tout peut-être que cela est autrement et peut être aussi que…]。

G. C.

2013/06/04

ジョルジョ・デ・キリコ「手稿(1911-1913) IX」 Giorgio de Chirico, "Textes Manuscrits (1911-1913) IX."

Giorgio de Chirico, Giovanni Lista (ed.), L’art métaphysique, L’échoppe, 1994, pp.72-73.


IX.

真に不滅な芸術作品は、人間的限界を完全に超えていなければならない。つまり良識や論理はそこでは欠点となるのだ。 ―― この意味で、そうした芸術作品は夢や子どもの精神に近づくことになるだろう。
私は思い出す。ニーチェの永遠の作品『ツァラツゥストラはこう語った[Ainsi parlait Zarathustra』を読み終えた後、この本の様々な部分に、ある印象をおぼえた。その印象とは、私が子どものときに読んだ、イタリア語で書かれた子どもの用の本に既に感じとっていたものだった。その本は『ピノッキオの冒険[Le aventure di Pinocchio]』と題されていた。作品の深遠さを我々に啓示する奇妙な類似である。このことは無邪気さとは何の関係もない、素朴な芸術家の無邪気な魅力とは何の関係もないのだ。この作品はある奇妙さを持ち、その奇妙さは、子どもの感覚が持つことのできる奇妙さに近づくのだが、同時に作者が故意にそうしているのが感じられる。同様に、私が思うに、真に深遠な一枚のタブローはこの領域に到達しなければならない。ベックリンとプッサンは絵画においてそのぎりぎりの限界に到達した。努力を続けることだ、そうすれば絵画もまた、我々を全ての絵画の彼岸へ[au-delà de tous les tableaux]と導くタブローを得ることだろう。

自然への観想は、ゴシック[gothique]芸術を創出した芸術家を、中世を通じて欺いた。同じ現象は、現代の全ての芸術家、詩人、画家、音楽家にも認めることができる。真に深遠な芸術作品は、芸術家によって、その存在の最も深い深遠から汲みだされるだろう。そこには小川のざわめきもなく、鳥の歌声もなく、枝葉のざわめきもない。ゴシックとロマン主義は消え失せる。そしてその場所に、寸法[dimension]が、線が、永遠と無限のフォルムが現れる。ギリシャ建築を導いていたのは、この啓示的感覚であり、同じ感覚がローマ建築を創り出すだろう。何故なら、私が思うに、ギリシャ、ローマの建築と、ローマ人がギリシャ人の原理(若干変形させられていたが)に則って創りだしたもの全ては、芸術[art] において最も深遠なものだからだ。



2013/06/02

ジョルジョ・デ・キリコ「手稿(1911-1913) VIII」 Giorgio de Chirico, "Textes Manuscrits (1911-1913) VIII."

Giorgio de Chirico, Giovanni Lista (ed.), L’art métaphysique, L’échoppe, 1994, pp.70-71.


VIII.

 ―― オプティミスムについて ――
生を一つの巨大な過ちとみなす人には、ギリシャ人の至るところにオプティミスムの精神が見える。これは思想家や学者が相変わらず犯していることで、常に一部の心理学に由来している。彼らが一度本当に何かを理解[comprendre]するためには、彼らの心理学に付け加える必要があるだろう。ある人間もしくはある人々が生に抱いている観念は常に、彼が彼岸について抱いている観念によって判断できる。
最も愚かなペシミストであるような人間は、楽園を、永遠の幸福を、永遠の至福[béatitute](凡庸さ[platitude]と読むこと)を創り出すだろう。そのようにギリシャ人は考えたし、キリスト教徒は考える。 ―― 反対に、最も聡明なペシミストは、彼岸を見つめる人々に対して、無[néant]について考える、たとえばブッダやショーペンハウアーがそうである。だが、ブッダであろうとキリスト教徒であろうとペシミストであることに変わりはない。現在、深遠な人間の、全ての問いに対する立ち位置[position]はどこにあるのか。それは当然、全ての立ち位置の彼岸にあり、むしろ一つの立ち位置ではなくなることによってはじまるだろう。新しい幸福と新しい奇妙さを常に探し求めて世界を別の[autre]仕方で見ること、そうして感じられる確かさと歓喜の中で、抽象的なものは、孤独で永遠なものとなる。生が良きものか、そうでないかといった考えは、彼にとって考えの外のものとなる。というのも、生が深遠なものとなった時、私が既にその意味を述べた理由により、生は良きものでも悪しきものでもなくなるからだ。良い[bon]と悪い[mal]という語は生には適用されえない、それが純粋に人間的で、一般的に理解可能な観点において捉えられる限りは。だがこの範疇から抜け出すや否や、生は永遠のものとなる。そして永遠性は良きものでも悪しきものでもない、空虚[vide]が色も香りも持たないことと同じである。

このような仕方で思考することに慣れて後でのみ、人間はこう述べる権利を持つ、私は深遠だ、と。そしてその時になってやっと、もし彼が創作をするなら、その創作物は、全ての他の価値の永遠性に加わって、偉大で永遠な価値を持つだろう。そしてその時になってやっと、彼は詩人になりうるだろう。以後、彼は如何なるエコーが彼の歌を呼び覚ますかを知るだろう。悲しいかな、人間たちが行ってきこと、未だ行っていることの全ては。それは太陽の光で干からびてしまい、風の一吹きで散らされてしまう一掴みの泥である。