Giorgio de Chirico, Giovanni Lista (ed.), L’art métaphysique, L’échoppe, 1994,
p.62.
III.
たとえば宗教と哲学は、我々が一般世界と呼ぶものの二つの偉大なシンボルである。つまり人は宗教を信じ、哲学を信じるのだが、人は、永遠の敵同士であるこれら宗教と哲学の人間的表層[de croûte humaine]にあるものだけを信じるのである。
―― というのも宗教と哲学の本質的な共生関係を人は信じることはできないだろう[on ne
pourrait croire]、信仰が永遠と共にあることは不可能なのだ。たとえば人は一本の木を信じる、一つの山を信じる、何故なら人はそれを目にしているからである。同じ理由で人はある人間を信じる。世界の表層の全てはこのように人間の目のためにある。教義や信仰は信者のために、理性と探求は哲学者のために。だが信じている表層の裏側を、人はもはや同時に信じることができない。ここにのみ思考の真髄、この世界において表層の裏側に到達することができる思考の真髄がある。誰がその理由を知るだろう?おそらくそこにはやはり如何なる理由[raison]もありはしないのだ。
この地上。太陽の下を歩く一人の人間の影の中には、過去、現在、未来の全ての宗教の謎に勝る謎がある。
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