Giorgio de Chirico, Giovanni Lista (ed.), L’art métaphysique, L’échoppe, 1994, p.67.
VI.
印象主義のあるべき姿。一つの建築物、一つの庭園、一つの彫像、一人の人物は我々にある印象[impression]を与える。重要なのは、この印象をできる限り忠実に再現することである ――
印象主義者と呼ばれた幾人かの画家たちは、実際には印象主義者ではなかった。私にすれば、印象主義の目的は、技術的手段(分割主義、点描主義等々)によって我々が真実[vrai]と呼ぶものの印象を与えることでは決してない。
たとえば光の感覚を与えようとして太陽に照らされた風景を描く。 ―― 何のために。
光、私もまたそれを見ている。つまり如何にうまく再現されようとも、私はやはりそれを自然の中にも見ている、そしてこのような目的を持った絵画は、何か新しいものの感覚、以前には私が知らなかった[je ne connaissais pas]何かの感覚を、決して私に与えることはできないだろう。一方で、ある人間が感じとることのできる奇妙な感覚は、彼によって忠実に再現された場合、鋭敏で知的な人物には常に新しい歓び[joies nouvelles]を与えることができる。
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